【 12月 29日 】 倉庫屋根の雪下し
倉庫の屋根に1mを越える雪が乗っている。場所によって積雪は違うが厚いところは、明らかに屋根の梁が撓んでいる。
朝から屋根に上り雪下し。午前中は晴れていたが午後は俄か雪。
屋根からの滑落を防ぐ為に屋根の縁1m位は雪を残しておく。また、屋根の上に10cm位は雪を残して除雪する。そして最後に全部除雪します。
今やっている倉庫は、まだ終わらずにあと半日は掛かりそうです。
屋根の雪下しは、気温が低い(氷点下)時に行うのが無難です。屋根の上で雪が融ける様では滑って危険です。
【 12月 25日 】 23日の大雪の後始末
天皇誕生日の23日は大雪でした。 それから3日間は、一日4時間程トラクタで除雪作業。今日漸く、庇まで雪が積もった家型ビニールハウスの南側の除雪を行いました。
雪の下の畑の土はまだシバレてなくて除雪の為に踏んだ秋播き小麦はぐちゃぐちゃ。それでも、ハウスの倒壊を防ぐ為には除雪をしなくてはなりません。せめて、朝の寒い時間帯に作業を行いました。
このハウスの北側はスコップで手作業の除雪になります。 ああ~、何日掛かるだろうか?
【 12月 5日 】 どうしたの 天気? 午前・午後
11月 3日夕 ~ 14日 積雪状態
11月14日 ~ 21日 雪なし
11月 22日 ~ 23日 積雪状態
11月 23日 ~ 12月 1日 雪少なく土が見える
12月 2日 ~ 5日午前 雪なし
12月 5日夕 ~ ?? 積雪状態
12月 5日朝から雨が降っています。雪は無く水溜りができています。如何したの天気?
午後にはみぞれに変わり雪に変わった辺り一面雪景色。真っ白です。墨絵の世界です。
6日は吹雪に変わり前日に整備点検に出したトラクタを戻していただいて、除雪作業を行いました。積雪15cm程。
【 11月 23日 】 オジロワシ がやって来た
昨日から醗酵鶏糞の散布作業を行っています。昨日は小雪の舞う中の作業。本日は寒いけれど晴天。
積雪2cm程の畑をトラクタを走らせていると前方に鳥たちの空中戦が始まった。カラスと鷹の戯れかと見ていると鷹の尾羽が白い。オジロワシと気づき
トラクタを止めて直にカメラで撮影。幸運な出会いでした。
オジロワシが渡って来る季節になりました。
【 11月 11日 】 すずめ への救援米
早い積雪ですずめ達も困っているようだ。朝外へ出ると犬小屋の壁の上にすずめが並んでいた。
犬たちにご飯を与えた後にすずめ達にエサのお裾分けをする。
すずめ達には、「雪が融けてエサが摂れるようになったら、草種を沢山採ってくれよ。」と思いながら、冬場のエサを与えている。例年の事である。
【 10月 26日 】 鷹柱
秋播き小麦が発芽して緑が濃くなる頃、どこからやって来たのか大きな鳥が増えて来る。
鷹の渡りの季節です。秋も深まる頃、鷹が集団で上空を滑空して柱の様に見える。これを鷹柱という。
畑に降りて休んでいたり、樹上で休んだりしているが、まるで鷹のなる木です。
【 10月 24日 】 降雪(初雪は23日) と ビート収穫
10月23日初雪でした。雪がちらつきました。 翌24日朝、気合を入れてビートの収穫準備をしていると
まさかの雪。俄か雪です。地面が薄らと白くなりました。 天気は直に回復して晴れ。 ビートの収穫を開始しましたが寒い、防寒靴に防寒つなぎ、それでも
寒さに不慣れな体には寒さが厳しい。
順調に収穫作業を行っていましたが、昼近くになるとまたもや空模様が怪しくなり降り始めました、俄か雪。しかも、吹雪状態。
寒さの為、トラックの中に避難。早めの昼食にしました。 俄か雪は程なくして止み青空が広がりました。
【 10月 20日 】 寒冷前線通過 と 白鳥
今日は9時頃から前線通過による雨の予報が出ている。
小麦収穫後の緑肥畑の整地がまだ1町半程残っている。朝6時から整地作業を始めて8時を過ぎた頃から雨がふりだした。
土が濡れて機械に付くまでは作業が出来るのでそのまま作業を続ける。 道路が雨に濡れ明らかに雨降り。でも難無く9時過ぎに作業を完了出来ました。そして間もなく雨が止みました。
雨が止み急に青空が戻り日差しが出ました。これから選別作業をする購入した種芋を大コンで倉庫から出して風乾して選別作業をはじめていると11過ぎ、一転俄かに搔き曇り今にも雨が降り出しそうな空模様。
直に大コンを倉庫にしまって選別作業を始めると直に雹が降り始め激しい雷雨になりました。
この時気が付いたのは、8時頃の雨は温暖前線通過であり、今の雨は寒冷前線通過である事。
前線通過後の夕方、明らかな冬型の天気。 懐かしいあの声が聞こえた様な気がして空を見渡して見るとやってきました。白鳥です。
16時頃北の方から南の美幌峠、屈斜路湖の方へいくつかの白鳥の集団が飛んで来ました。
白鳥は天気予報を見ている訳では無いが、自然界の動きを体で感じ取って最適な旅立ちの時を知るんでしょうね。北風に乗って南下するわけなんですね。
今見た白鳥達が群馬まで飛んで行くかもしれませんね。 旅の無事を願って見送りました。
追伸 集団の白鳥達に遅れて2羽3羽と遅れて飛んでくる白鳥もいます。
【 10月 16日 】 ビート畑 の 陥没 (大雨の影響)
10月20日の一回目のビートの出荷に合わせてビートを収穫しています。
ビート畑の一部に陥没を発見しました。直径1,5m程で深さ1m程の陥没。畝にして4本分は機械で通る事が出来ません。
陥没の中にはビートが落ち込み、壁の一部にはキノコ(畑シメジ?)が生えていました。
この部分の畝をのこして機械収穫を完了させて、最後に陥没の周辺のビートを手で収穫して機械が通れる様にしてから収穫を無事に終わりました。
戦前に美幌航空隊が存在した美幌自衛隊の周辺では、終戦時に合わせて戦闘機を隠したという話があり、20数年前にテレビ局がこの地域に取材にきて放送された事があった。
この陥没の下には、ゼロ戦が? そんな事はないですよね?
一応、自衛隊には報告してあり担当者が確認に来ました。
【 10月 15日 】 初霜 ・ 初氷
芋の選別箱詰め作業が一応終了して今日からビートの収穫を始めるという朝。 起床して外を確認すると白っぽい。霜が降りた、初霜です。
しかも、外へ出たら初氷も確認しました。
この秋は、雪虫を10月6日に見ましたが、ちらほらと見かける程度でした。その後もあまり見かけません。虫たちも季節の移ろいを見失っているのでしょうか?
私達は暦と共に生活しているので季節を「今は、秋」と思いますが、暦を持たなかったら季節感を感じにくいと思います。
木々はいつの間に紅葉をしたのか?枯葉をまとっている。
10月20日出荷のビートの収穫が始まりました。
【 10月 9日 】 10月5日 芋の収穫終了
8月12日より始めたジャガイモの収穫が10月5日で終了しました。 例年より半月程遅くなりました。
10月中旬に始まるビートの収穫作業の前に、しゅうかくして選別箱詰め待ちのジャガイモを処理しなくてはなりません。
今年の場合8月から雨が多くジャガイモを収穫しては、雨で畑に入れない間に選別作業をして出荷していたので、仕事がそれ程溜っているわけでは無いのであと一週間程で
選別作業も終わります。
さて8月からの異例の雨続きの天候。 思えば知らず知らずの内に雨に対応出来る状況に導かれていたものと考えられます。
・ 芋選別箱詰めの作業場を改修して、製品の一時置き場が広く雨に濡れる心配が少なくなりました。
・ 例年では、選別作業場の入り口が泥濘で作業しづらかったが、なぜか今年は、倉庫の軒下に沿って30mの側溝を掘って排水を良くしていました。
・ トラクタの導入によりジャガイモ収穫中の管理作業が早く出来る様になり泥濘では大分助けてもらいました。
・ 雨で畑で収穫が出来ない日でも、ジャガイモの選別箱詰め作業で仕事が続けて出来ました。
2カ月近いハードな仕事で、妻も雇用者も大分疲れています。あと数日、ケガ無く無事にジャガイモの作業が終わる事を願っています。
【 9月 13日 】 こんな所に池が!
8月19日、記録的な台風の来襲、大雨の影響で畑の一角に池が現れました。
9月10日には、水に浸かっていた部分のビートが枯れて無くなりました。
農作物、圃場、作業等に影響・被害を与えている大雨。 現れた池では、カラスたちが水浴びを楽しんだり、カモの夫婦が羽根を休めています。
先日の圃場の災害復旧の見積もり金額ですが、137。 あらたま げたよ。
【 8月 31日 】 8月の異例の台風襲来等の豪雨の惨禍
8月に北海道に台風がやって来るのは珍しい事。しかも、3個の台風が上陸した。また上陸しないまでも多大な災害を残している。
高橋農場に於いても嘗てない無い被害を受けている。農地に穴が開いたとか、ヒビが走った、崖が崩れた等。自分の領域だけの被害ならまだしも、隣の人に迷惑を掛けてしまうのは困りものです。
いずれにしても自然災害なので、皆さんは国からの補助を受けて災害地の修繕復旧をしているのかな?と思いましたが、調べてみると何と自腹。
本日、業者の担当者が災害個所を見に来ました。 来週に見積もりが出るそうですが、その金額が怖いです。
【 8月 16日 】 芋選果場改修後 初作業
7月4日以来1ヶ月強。芋選果場の改修をちょろちょろと進めていましたが、遂に選果作業が始まりました。
上手く機械が動くか?スムーズに作業が進むか?心配でしたが無事に作業が始まりました。
【 8月 8日 】 ヒマワリ
自然農法の畑 と 一般の畑 の境に 緩衝作物として 休閑緑肥のヒマワリを栽培しています。 約2,5mの幅で200数mの長さの面積
に、4列のヒマワリが植えてある。花が咲くのは8月上旬。 今年は、7月30日に咲き始め今が満開。 綺麗ではありますが、このまま咲かせては置けないのです。
小麦の収穫の最中、1時間程、ヒマワリやヒマワリに集まる昆虫達には真に申し訳ありませんが、ヒマワリのすき込み作業を行いました。
トラクタに機械を着けてヒマワリを漉き込んでゆくのですが、倒れ行くヒマワリの周りでハチやチョウが戸惑っている。心の中で、「ごめんね、ごめんね」と言って作業を続けている。
ヒマワリをこのまま咲かせて置くと種に実が入り、その種が来年雑草として成長する為、花が咲いても早い時期に畑にすき込んでしまうのです。
このヒマワリは、緑肥として畑の微生物と共に循環の輪に入って往きました。
この時期、昨年は「マルハナバチ」が多かったのですが、今年は、「ジャノメチョウ」が多く飛び交っていました。
【 7月 27日 】 キクニガナ 雑草? 野草?
大暑を過ぎた頃から咲く素敵な野草がある。その名前は「 キクニガナ 」。 野草に気付いてから名前が分かるまで1年以上掛かっている。
それだけに、名前が分かったときは嬉しかった。
この花は、自衛隊の敷地内に多く見かけますが、うちの畑の縁にも一株だけ自生している。 今年は、その花の株のある付近には、除草剤を掛けず、刈り払う事もしないで大事に様子を見ていた。
小暑のころから立ち上がり始めた茎。 そろそろ咲きそうだなと思っていたとき畑に草取りに入った人に刈り払われてしまっていた。
刈り払われてまだ生きていそうな茎を持ち帰って水を入れたペットボトルに挿しておいたら、翌日一輪の花が咲いていた。
何日か見ていて分かった事は、キクニガナの一輪の花は、一日の命である事。朝開き始めて、夕方にはつぼんてしまう。 沢山の花芽が一日一日咲く事で
1ヶ月近く咲き続けているように見えていたのです。
今、このキクニガナは、改修中の芋の選果場に置いています。
【 7月 11日 】 芋 箱詰め選果場の改修
写真は7月4日に、芋箱詰め選果場の機材施設の運び出し前後に写したもの。
ジャガイモの収穫選別作業があと一月程で始まる。何の作業をしていても、作業方法等について、「ああしたい、こうしたい」と思いながら作業をしていることが多い。
毎年その作業が始まる頃になると同じ事を思い考えている。 これって、無駄な事だと思いながらも毎年同じ事を考えている。
今年は、小さな改善を行ってから4,5年経つ。 7月4日、一日中雨降りだった。 いよいよ意を決して改善をするべく、選果場の機械施設を搬出して空にした。
必要とする施設は、1400kg入る大型コンテナを持ち上げて芋を流す機械(リフター)と、芋を重さで選別する機械の二つだけ。
7月10日,昼前から雨になりました。 選別機を改修して選果場に戻す作業を始めました。
【 7月 2日 】 自然農法畑 黒大豆の除草
この時期、分かっていても出来なかった事をしている。 それは、自然農法畑の手取り除草。
例年では、ビートの除草を中心に行って夕方、ビートの仕事が終わってから自然農法畑の除草を行っていたのではかどりませんでした。
7月1日、蝉の鳴き声は、自分の耳鳴りと思える程度になり虫の音が涼やかに聞こえていた。 もう秋なのですか?
ところで、大豆の除草、大豆を切らない様に注意して作業していますが、時折雑草まで残してしまいます。良く見ないと。
さて、二枚の写真、大豆と雑草の見分けがつきますか? 左の写真は、イヌビユ と スギナ と 大豆。 右の写真は、つる草 と 大豆 を写しています。
それぞれに、写真の中の右側が大豆になっています。 分かりますか?
【 6月 26日 】 6月21日夏至
23日夕方、愛用のポケットカメラが故障しました。今までもレンズの出し入れを騙し騙し行っていましたが、もうだめです。
その為、しばらくは写真無しでご勘弁を。
日ごろの生活の中で、6月の「 夏至 」 を過ぎるとホッとして、12月の「 冬至 」 を過ぎると気持ちが焦りだす。
それは、朝の明ける早さに関係しています。 春の農作業が始まった頃から夏至にかけては夜明けが徐々に早まり、朝3時には不自由の無い明るさになっています。
それが、夏至を過ぎると夜明けが遅くなってきます。それで気持ちがホッとするわけです。
【 6月 20日 】 Do you know me?
Do you know me?
知っていますか? 芋の葉っぱを食害している 黒い小さな虫。
dou yuu nomi? どう ゆう のみ?
名前は 「 ジノミ 」。 作物の葉っぱを食べ収穫量に影響を与えます。
一般の栽培では、既に農薬を散布して病気や害虫の対策をしていますが、自然農法の畑では農薬の散布を行いませんので
この様な葉っぱを多く見かけます。
【 6月 20日 】 ホワイトアスパラ は、今?
【 6月 16日 】 秋播き小麦 開花始まり
美幌町で作付けされる秋播き小麦は、左写真「きたほなみ」(薄力粉) と 右写真「ゆめちから」(強力粉)。
一部は、美幌ラーメンの原料になっています。
【 6月 2日 】 グリーンアスパラ と ホワイトアスパラ
農産物。収穫したものが全て出荷される訳ではなく当然出荷出来ない様な外品があります。
それでも出荷先との関わりの中で、ある程度の外品でも出荷出来る様に変えて来ています。自家消費(税務的には、販売出来ないものでも、自分で消費したものは
収入として計上する事になっています。生産者の食卓はその様な農産物を多く頂いているのです。)に回った外品の一部を犬のクーとキャメルはいただきます。
ところで、私が今問題としているのは、写真の同じ犬「吹雪犬のクー」が、グリーンとホワイトのアスパラを前足で押さえて食べている様子。
グリーンは根元から、ホワイトは頭から食べているのです。見ているともう一頭の「キャメル」も同じ食べ方です。
この食べ方に気づいた私は、「えっ!」と感じました。「グリーン」と「ホワイト」とでは、アスパラに含有される成分の一部の存在する場所が異なる。
「犬は、この成分の存在場所を自然に気づいていてこの様な食べ方をしているのではないだろうか?」
大変な事に気付いてしまったと思った私。 何回か試した結果、グリーンアスパラは先の曲がりが多く、前足で押さえるのに曲がった穂先に足を掛けた方が都合が良かった様です。
やはり、犬でした。でも、アスパラが好きです。
ここでの話ではありませんが、集荷場で出るアスパラの切り下は、牛や豚の家畜のおやつにもなるようです。それ程、価値があるのです。
【 5月 27日 】 オケラ 見た事ありますか?
「 オケラ 」 を知っていますか? 見た事ありますか? 「オクラ」ではありません。 昆虫です。
ここ数年、アスパラ畑で時折見かける様になりました。 アスパラ畑の雑草が酷くて、畝間に耕運機を掛けながら雑草を拾っていると珍しい生き物が現れました。
耕運機が通ったのに良く生きていたなあ。幸運機だね。私も君に遇えてラッキーだよ。 オケラを土ごと握ってカメラを取りに戻る。 アスパラ畑に下してあげると直に土に潜り始める。
早いですよ。 前回は、カメラを取りに行って戻ったら居なくなってしまいました。そこで今回は、手で握っていたのです。
オケラは、羽根が小さい様ですが飛ぶんですよ。昨年秋、夜に小麦畑をトラクタで作っていたら、フロントガラスに何やらぶつかってボンネットに落ちた。何と、オケラでした。
【 5月 24日 】 エゾ春蝉
まだ来ない。この時期、カッコウが鳴くのを待っている。例年では、17日から1週間の間に鳴くことが多い。
カッコウの初鳴きを待っているうちに、例年では6月になってから鳴く「エゾ春蝉」が、鳴いてしまいました。 23日の昼に蝉が鳴きました。
ただ、自分の勘違い程度にしか思えませんでしたが、翌日に芋畑で蝉本体を見た時、昨日に蝉が鳴いた事を現実として受け止めました。
蝉はその土地の木下の土中で生活していて、カッコウは、東南アジアから渡って来ます
【 5月 14日 】 風害ビート 4町弱 再移植
住宅の窓から見る風害のビート畑は、緑に見えない。 意を決して畑の中を1往復歩いてみた。右を見ても左を見てもビートの苗が見えずに紙筒が植えてある様にしか見えない。
農業共済の畑作担当者に畑の状況を確認してもらい、ビートを再移植する事にする。移植苗は、作業が終了して苗の余った家から購入して170冊程の苗が集まりました。
一度植えた苗の筋に合わせて機械を走らせるのは、結構大変でうまく行きません。この後の除草作業が遣り辛くなる様な走り方です。
【 5月 12日 】 藻琴山の残雪模様 強風 と 砂嵐
一瞬にして状況が逆転して苦しんでいる人達がいる。今も尚、自然災害の影響を引きずっている人たちもいる。
雪が融けて、春の農作物の播き付けの時期。藻琴山の残雪模様の右下がりの蒼いゴボウが見え始めている。
4月22日から始めた一般畑のジャガイモの播種作業は、大方終わりビートの移植作業が5月4日から始まっている。
順調にビートの移植作業を進める中、自然災害は、5月8日昼頃から夕方にかけて現実のものになった。ビートの移植作業が4割強終わっていた。
6日夜から7日に掛けての雨の後、ビートの移植作業を再開したのは、7日夕方から。8日は、風が強い事は分かっていましたが朝から順調に作業をしていました。
ビートの苗が乾きやすく、作業がやり辛くなってきた昼前頃、砂埃が立ち始めました。
以前に砂嵐でビートの被害が出たのは、1997年平成9年。この時は、砂嵐で、周囲の景色が見えなくなるほど。 過去の事を考えたら、今日は、作業を中止した方がリスクが小さい。
作業をお昼で中止して休みにしました。
8日午後、強風・砂嵐は更に強まり、畑を砂埃の壁が流れて行く様子があちこちに見られ、周囲が見えなくなる事もしばしば。車道を走る際にはヘッドライトを点灯している。
家に戻り倉庫の中で残った芋の播種準備を進めながら強風の治まるのを待っていた。大概、風は夕方には治まる傾向にある。
今回の強風・砂嵐は、夕方18時頃には治まり、残された時間で芋の播種作業を終わりにしました(自然農法の畑2町程はまだこれからの作業です)。
今回の強風・砂嵐の自然災害で、畑に移植したビートの被害が発生しています。現在、ビート自身の生命力に期待して再生するのを待っているところです。
11日は結構な降雨があり農作物にとって恵みの雨でした。 もうしばらく、様子を見ようと思っています。
【 5月 7日 】 根性アスパラ えぇ~ こんな事があるの?
4月16日より出荷の始まったホワイトアスパラ。
春の播き付けの時期に重なり、昼間は畑仕事。夕方薄暗くなってからアスパラのハウスの中で懐中電灯を頼りにホワイトアスパラの収穫をする。
収量は僅かですが、選別して出荷すると、21時前後になる。
そんな、ホワイトアスパラの収穫中に出会った、「根性アスパラ」。
遮光シートのトンネルの中。外の世界を見てみたいと思ったアスパラは、シートの小さな穴から外に顔を出すことに成功。シートの内側はホワイト。外側はグリーンのアスパラになりました。
【 4月 8日 】 春のいぶき ホワイトアスパラ
春一番の農産物、ホワイトアスパラが姿を現しました。
雪がなくなり暖かくなり、鳥たちの活動も活発になり…、大地が息づいてきた。
大地のいぶきの現れそれがホワイトアスパラ? 春のいぶき。
遮光シートの中、フラッシュを使ったら、「星空の ホワイトアスパラ」。になりました。
これは、遮光シートが古くて小さな穴がポツポツと開いているため。
今年も忙しくなります。
【 4月 2日 】 〽 雪融けの せせらぎが 大好き …
3月下旬からの暖かさで急激に雪融けが進んでいます。
昨年秋に小麦を播いて大雨で海が出来た畑。 雪融けが順調に進んでいると思いきや、雪融け水は畑に浸透しきらずに「せせらぎ?」いや「大河」となって流れています。
さて、表題の歌詞。 歌っている歌手の名前は? そして、歌詞の題名は? 私、古い人間です。
【 3月 28日 】 ホンダ ドマーニ お疲れ様でした
北海道へ来た時はホンダのシビックに乗って来た。 1994年夏、実家に帰った際に「結婚祝いの代わりに新車を都合着けるから新車で帰りなさい。」
ということで、今まで、この時の新車ドマーニにお世話になりました。 2005年には、ホンダのステップワゴンも私のもとへ来ている。真にありがたく感謝です。
ドマーニは、この3月28日午前、お祓いをしていただき20余年の永きに渡るお勤めを終えました。
動物たちが飼い主や家族を守ってくれる様に、無機物にも理性・感情等の意志想念があり、これらを尊び愛する事で無機物・車としてのドマーニは、今まで
私達を守ってくれていたと感じています。思えば、結婚式の事などはほとんど記憶に残らず忘れ去られていて、それが今の生活において何の影響もありません。
でも、このドマーニが無かったら? 私は、この20有余年の生活の中で、ドマーニに助けられ、犬たちにも救われています。それを考えたら、実家の両親が選んだ結婚祝いの代わりは、正しかったといえます。
見栄や体裁で行動しがちな中、真を捉えた行動・考え方をしたいものです。
お祓いの間、時折「アオサギ」の繁殖の声が森の中から降ってくる季節… 一代 の車を見送りました。
走行距離 205,976kmでした。
有難うございました。
【 3月 26日 】 南極物語ごっこ?
(写真左?)1958年(昭和33年) 2月。 第2次南極越冬隊は、悪天候の為、南極オングル島にある昭和基地への上陸を断念せざるを得なかった。
滞在中であった第一次越冬隊は、小型飛行機で砕氷船「宗谷」へ撤退した。
(写真中?)この時、15頭の樺太犬が、鎖に繋がれたまま昭和基地に仕方なく取り残された。
(写真右?)翌1959年1月、第三次南極越冬隊は、兄弟犬「タロ」と」「ジロ」の生存を発見し再会する事ができた。
この時昭和基地には、ソ連隊の給油デポがあり、飛行機の給油の為に降り立ったソ連隊は、2頭の犬を発見し保護していた様です。
そして第三次日本隊が遣って来る前に犬たちを昭和基地に戻してあげた。
【 3月 26日 】 ホワイトアスパラ 遮光シート掛け
2月18日にビニールハウスの屋根を掛けて、3月20日を過ぎて漸くハウス内の雪が融けました。
そしてハウス内の殻を処理したり、トンネルを作る準備をして、今日午前中にハウスの中にある2本のトンネルに遮光シートをかけました。
これから、2週間位でアスパラの芽が出て来ます。トンネルの中は殆ど光が入らないのでホワイトアスパラになります。
この春には、希望者を集めて「ホワイトアスパラの栽培の様子」を見せてあげたいと考えています。
【 3月 25日 】 ビート 22日出芽
3月14日にビートの種まきが終わり、17日に水をたっぷり(600冊のビートポットに6,000リットル)掛けてシートで覆いました。
22日に4割程発芽したのでシートを剥いで立枯れ病の防除を行いました。この日の夕方までに7割近く芽が出ました。
25日の昼には写真の様な状態になっています。夜間は、ハウス内温度を2度に設定してジェットヒーターを自動燃焼しています。
毎晩夜中にトイレに起きた時に外へ出て灯油を補給しています。寒いけれど、夜空も綺麗です。
【 3月 23日 】 ホワイトアスパラハウス 雑草の様子
ハウスの中の雪が融けた。 枯れていると思っていた雑草「ハコベ」。何故か茶色の茎の途中から緑に色づいてきている。
しかも、緑の中には、白いハコベの花も咲いている。雑草の生命力。
枯れたと思える茎を取ると、地面に1mmの半分程の茶色の粒が沢山落ちている。 ハコベの種です。冬の間、種を残して種族を残し、
自分自身の根を生かして翌春に再生する雑草。
【 3月 20日 】 ホワイトアスパラ ハウスの様子
2月18日ハウスの屋根ビニールを掛けて1カ月。 ハウスの中は北側に僅かに雪が残っているだけ。
ホワイトアスパラの栽培準備を進めています。 殻を処理して、通路に耕運機を掛けて、トンネルの骨組みを補強。
この冬は暖かいので3月末までに遮光シートでトンネルを掛ける予定です。
3月20日 春分の日。 一年の始まりの日でもあります。 地球中心の宇宙の中で、地球は太陽の周りを約1年掛けて公転しています。
その軌道上の便宜的なスタート地点が今日、春分の日。角度にして0度の地点です。 これから夏至(90度)、秋分の日(180度)、冬至(270度)を経てまたスタート地点に戻ってきます。
そんな天文学的な一年の始まりの日。
【 3月 13日 】 ビートの種まき後半
12日、13日と本格的にビートの種まき。「みどり就労センター」からのお手伝いさんが3名と私と妻と娘二人の計7名。
昨日は4町程の種まきができましたが、今日は3町程でした。残すところ後2町です。
昨日、体調が優れない中、仕事を手伝ってくれた次女は、今日は風邪でダウン。長女は、学校の都合で今日が最後の日。夕方に仕事を終えると、電車で札幌へ帰りました。
ハウスの外は、雪景色。だいぶ融けて来たとはいえ地面が出てくるのはまだ先。明日は、ハウスの外へ機械をセットして、地面のシバレが融けない内に作業を終わりにしたいものです。
ビートの種まき作業は、美幌でも播種センターが閉校した小学校の跡地に作られて、この春から契約農家へ配布されています。 家でも、播種センターが作られるときに契約
しようと考えましたが、自分たちで作れるうちは自分たちで種まきをすることにしました。 でも、途中から「入れてください。」と言っても入れてもらえる訳はないので、何らかの方法を考えなくてはなりません。
ビートの生産上の労働力問題は、1:種を播くとき。 2:畑に移植するとき 3:手取り除草 。
1・2を回避する為に、直接畑に種を播く人も増えてきていますが、苗を立てて畑に移植するのと比べると、一カ月程生育期間が短い分、収益が少ない様です。
【 3月 11日 】 ビートの種まきが始まりました
畑はまだまだ雪に覆われていますが、融雪剤の散布で灰色の畑が増えてきた今日この頃。
当農場としては今年の農作業の幕開けとも言えるビートの種まき作業が始まりました。 今日は、家族だけで試運転。明日からは手伝いの人が入って本格的に作業をします 。
十日前には暴風雪で大変だった事が嘘の様です。 5年前の今日は、ビートの種まきの準備をしていました。そしてその時に発生した東日本大震災。 科学文明の発達した社会でも自然の前には無力だった。
【 3月 5日 】 STVラジオ 日高晤郎ショー
毎週土曜日は、札幌のSTVラジオで朝8時から夕方5時まで「日高晤郎ショ-」という9時間の生番組が放送されている。
春休みの始まった娘を迎えに土曜日に合わせて車で札幌へ。 11時ころにラジオ局に入り放送の行われている部屋の廊下の待合椅子に座り、その場に居られる時間を楽しむ。
忙しそうに行き来するスタッフは、廊下で待っている人たちに通る度に挨拶する事を怠らない。中には顔見知りになっていてそれなりの挨拶を交わす人もいる。
この日は、洞爺高校の元校長、そして日高さんと僅かながら話す機会を得た。そして、美幌町のまい子さんにも宜しくとの事でした。
12時過ぎに局を出て、琴似にあるMOAのアートホールへ昼食を食べに行きました。 丁度一週間程前にここの「食楽よろこび」から「ノーザン・ルビ-芋」の注文があり、出荷したばかり。
はたしてどの様な使われ方(料理)をしているのか確認するために行きました。 昼食のおかずの一つ、「野菜の厚焼き卵とじ」といったところでしょうか。
ほうれん草や玉ねぎの見える卵焼きを箸で二つに分けると、中にピンク色の塊が見えました。嬉しかったですね。
食べ終わって、食器を返す時に賄いの人に訊きました。「卵とじのおかずの中にお芋が二種類入っていたようですが、名前は何でしょうか?」
すると、材料の入っていた箱を確認して「さやあかね」と「ノーザン・ルビー」と教えてくれました。
【 3月 1日 】 吹雪の日
昨日より降り始めた雪は、昨夕には回復したものの今朝には降雪から吹雪へと激しさを増し大荒れになった。
高校の卒業式の今朝、高校1年生の娘を3km程離れた高校まで車で送った。帰りはどうなる事かと心配していたが、昼には外は吹雪で100m先も見えない状態。
軽トラで高校へ迎えに向かったが、半分程走った所で黒い影。軽自動車が、吹き溜まりで半分程雪に覆われている。
車から降りて近づくと中から「大丈夫です。役場に連絡しましたから。」との応答。
これ以上先へは進めないため、昨日修理が終わったパワーショベルで出直す為に家に引き返しました。
今日の猛吹雪はこんな状況だったのかと、気象衛星ひまわりの映像に見入る?? 吹雪犬のクー と ウサギ犬のキャメル。
【 2月 27日 】 榊の花
神の木、榊。 漢字ってすごいですね! 文字に意味がありますものね。他の言語とは違いますよね。
日本の民族は4種族からなり現在ではその混血になっているという。 「 大和系 」が日本を統治していた時代、朝鮮を統治していた素戔嗚尊
が日本の出雲へ渡来し「 出雲系 」として日本を統治し始める。(でも、大和系の天照大神も出雲系の素戔嗚尊も兄弟ですよね。)
これとは別に、高千穂の峰に天降った「 天孫系 」 瓊瓊杵尊。 3代目神武天皇の時代に数回の東夷征伐の結果出雲系の大国主尊より国土奉還を受け、日本を統治する。
もう一つの系統は「 土匪系 」。コーカサス地方より蒙古、満州、北朝をへて青森付近に上陸して近畿地方へ及んだ。
現在の日本の多くは混血ですが、遠きいにしえからの流れの中で、天孫系と出雲系の天下争奪戦の現れが現代なのかもしれません。
そして「 神 」ですが、出雲系の策略として宗教が誕生して来たという話もあります。
そんな神々、人間界の争いとは無関係に自然界の「 榊 」が綺麗な花を付けました。生まれて初めて見ました。香も良いです。
【 2月 25日 】 彩雲 ( 瑞雲 )
小さな野菜ハウスの屋根を掛けているとき、いつの間にか太陽を雲が隠し始めていた。何時発生したのか、流れて来たというよりか太陽の前に発生した雲。
雲の一部分に赤や紫の色がついている。 空気中の水分が太陽光を散乱して雲に虹の様な色が付く「彩雲」。 瑞雲 ともいわれる。
この時期、夜になると冬の星座オリオン座が大犬座のシリウスの上辺りに見えている。オリオンの腰のベルトにあたる部分には三ツ星と言って星が3個
一列に並んでいる。この星の下側にはオリオン座の大星雲M42がある。 彩雲を見つけて思うのは、M42。
この大星雲は、宇宙空間に充満するガスがその後ろ側の恒星の光を受けて輝いて見えるのです。特にこの星雲は、恒星であった星の寿命が尽きて
大爆発した時のガスのなごりであって、その中心には新たな恒星(トラベジウム)が生まれてそのガスを輝かせているわけです。
【 2月 22日 】 月天心
吹雪の翌日、農協での税務の仕事の帰りに気づいた東の空に昇る満月。
昨日は、外へ出る事さえ拒むような吹雪。一転して今宵は冷え込みそうな夕闇に真っ先に点いた月明り。
俳人 与謝蕪村が詠んだ 俳句 「 月天心 貧しきまちを 通りけり 」
四半世紀程前の夏、前橋から電車で山口県下関駅に着いたのは、日没間近の頃。月さえ無い宵闇の中、自転車のライトを頼りに日本海側の萩市へ向かっていた。
街を外れると疎らになった住宅の窓から漏れ出す灯りにもの悲しさを感じながら走っていた事を思い出す俳句。蕪村は、旅の途上の情景を詠んだ訳ではないが、
世間が寝静まった頃に尚、寝場所を求めて旅をしている姿は惨めなものです。その夜、萩駅に着いたのは夜中過ぎ。ベンチで一夜の眠りに着きました。
この俳句では、冬(秋)の月が空の真ん中に来る頃、まちは寝静まり、だれに気づかれる事無く月は独り歩きつづける。こんな感じかな。
でも、一青窈の「 月天心 」の方がいい感じです。
【 2月 18日 】 アスパラハウスの屋根ビニール掛け
ホワイトアスパラを栽培するビニールハウス(100坪≒7.1m × 45m)の屋根を張りました。 自分の都合と天気の都合を考えて作業日は、今日と明日と考えていました。
気温が上がって風も穏やかな南風。 前々から準備を進めておきますが、漸く作業のチャンスが巡って来ました。 最初にハウスの屋根ビニールを押さえる紐を90本準備して3時間経過。
11時頃から屋根を張り始め、スプリングで固定して2時間。 最後の仕上げに、午前中に準備した紐を屋根に廻して固定して夕方16時に作業終了。
2日間を予定していた作業を1日で完了させていただき先ずは一安心。 次は、融雪作業をしながらビートの種まきの準備。3月11日には、ビートの種蒔きが始まります。
冬の間に、私は何をしただろうか?
【 2月 11日 】 我がこころの 建国記念日
ホームページ開設から今日で1年。 ホームページを開設できた事が嘘の様です。
実は、HPを作るためにサーバーとの契約をしてからHPを作り始めたのが、5年程前。でも、作れずに4年ちかく、契約料だけ払い続けていたのです。
20万円程払い続けた昨年冬には、諦めてサーバーとの契約を解約するつもりでいました。
昨年1月群馬の友人の本間氏からのメールで「まだできないの?」という催促の言葉。また、大切な仲間が札幌へ転居する事を知り、HP作りに取り組みました。
書店で2冊の本を買い、インターネットでHPの作り方やソフトをチェックして、1カ月程でHPを立ち上げる事ができ、これが私の永遠のゼロです。自分でも驚きです。
作ったと言うのか? 作ってもらったと言うのか? 作らされたと言うのか? 不思議です。
さて、「我がこころの、建国記念日」ですが、私が新たなスタートを切った日、自分自身への挑戦を始めた日として2月11日をその様に思っているのです。
写真左、1983年 2月 11日、会社の連休を利用して自転車による日本一周の旅が始まったのです。 この最初の日、前橋駅から木更津駅まで電車で移動して
木更津駅から自転車で房総半島先端の館山ユースホステルまで走ってそこに宿泊したのです。
写真右、1990年 2月 11日、日本一周最後の日、再び館山ユースホステルに宿泊しました。 この時には、仲間の木暮氏が一緒に行動を共にしてくれました。
この日の宿泊がきっかけで、1990年8月には、翌9月にグリーンドーム前橋で行われた世界自転車競技選手権の宣伝を兼ねて、HARPレーシングクラブとして前橋市の行政
を巻き込んで「群馬一周リレーラン」を走者の総勢150名程,30時間程で行ったのです。 この時、たった一人、全行程を走り抜いた人がいました。
若き日にアメリカ大陸を自転車で横断した石原氏。 そしてグリーンドーム前橋で行われた世界自転車競技選手権には、今でも美しい、若き日の橋本聖子氏が参加していたのです。
【 1月 26日 】 わっ、 くま? だ!
毎日私が外へ出る度に、柵の中から届く犬たちの視線。 「今日は、連れて行ってくれるの?」、「遊んでくれないの?」
そんな犬たちの物言わぬ言葉が心に刺さる。出来ないときには、「今日は出来ないからね。」 と言って視線をそらして出かける。
漸く天気も安定してきて日差しが温かい。久しぶりに犬たちを散歩に連れ出した。
1頭は薄茶毛の雌犬。ウサギの様に雪の上を跳ね回り雪に顔を刺したり体を橇の様にして遊んでいる、ウサギ犬のキャメル。
もう1頭は黒毛で雄犬。フェイスブックでお馴染みの吹雪犬のクー。吹雪の日にエサを届けに犬小屋にたどり着くとそこにいたのは黒犬でなくて白熊?でした。
雪で顔を白くしている様子が可笑しいので吹雪犬と名付けました。
さて、クーは何処へ行った。 足元で鎖に繋がれて遊んでいるキャメルに訊いてみる。その視線を追うと 「 わっ、 くま ? だ!」
【 1月 21日 】 流氷砕氷船おーろら Aurora
この冬の降雪、根雪は例年より3週間くらい早かったものの降雪量の少ない穏やかな年末年始でした。
所が21日の「大寒」を前にして19日・20日・21日朝に掛けて大荒れの吹雪になりました。学校も3日間休校になりました。
最初の2日間は、「吹雪犬」にご飯をやる為に外へ出るだけで部屋の中で事務処理をしていました。外へ出るときには、
玄関の引き戸を少し開けて玄関の中から除雪をしてから外へ出ます。犬小屋の扉も開けられず柵を乗り越えて出入りしていました。
さて、21日は妻の通院の都合で回復傾向の吹雪の中、網走へ行ってきました。運転手の私は、流氷砕氷船おーろらを見るために近くの港まで。
海は時化ていて壁のような白い波頭が次々に押し寄せていた。
流氷の到来は例年より遅れていて、現在120km程北の沖合まで来ていますが見え始めるのは、1月下旬から2月初めではないかと言われています。
私は、流氷砕氷船おーろらにまだ乗ったことはありませんが、流氷の海を船の上から見てみたいものです。
流氷の情報、流氷砕氷船おーろらの公式ホームページは
「網走流氷砕氷船おーろら」で検索できます。
是非、ご覧ください。
【 1月 1日 】 ホワイトアスパラのハウス
ホワイトアスパラの栽培ハウス。例年では、雪前に殻を処理してハウスの中には殻が無い状態にして、春に遮光シートを掛けるだけの状態にして雪を待ちます。
この冬は、降雪が早くアスパラの殻を処理するタイミングを逃しました。
でも、それを喜んでいる動物もいる様です。 ハウスにスズメより大きい鳥が数羽やって来ています。春先のヒレンジャクやキレンジャクではなく、ヒヨドリです。
アスパラの赤い実を食べに来ているのでしょう。それに気づいたら、アスパラの殻の処理が出来なかった事も、まあ良いかと思えています。