【 12月 26日 】
11月中旬、倉庫で出荷の為のビーツの選別中。既に日が落ち電灯で作業している中聞こえて来た、「日高晤郎」の名前。
何だろうと耳を傾けると、STBラジオの「吉川のりおスーパーライブ」でのインタビュー。相手は女性で、「硫黄島」とか聞こえてくる。
日高晤郎ショーの初期にスタッフとして働いていた「梯久美子」さんが書き下ろした
「散るぞ 悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道」
の取材インタビューだった。
夜早速、アマゾンで注文して12月8日に届きました。読んだのは、12月25・26日でした。
1945年(昭和20年)3月16日
硫黄島の地下壕から大本営に宛てた決別電報の中の一句
国の為重き勤めを果し得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき
大本営は、この句の最後を「散るぞ口惜し」と改変して発表した。
1994年2月私が北海道へ遣って来たばかりのころ、初めて硫黄島の土を踏んだ天皇は、こう詠んだ。
精根を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき
【 12月 12日 】 道路脇 木の枝伐採
2週間程前だろうか、黄色の車で大勢の作業員が遣って来てこの木の枝を伐採して行った。
除雪の邪魔になるとの事で、朝から作業して昼前に帰って行った。某開発局である。
気になるのは道路側だけ伐採して反面が残してある事。ここは、カーブのすぐ手前なので出来る事ならば見通しを良くしておきたい所。
大勢遣って来てこの程度の事しか出来ないのか。
12日午後、穏やかな天気で、夜には雨か雪になりそう。梯子を木に立てかけて残された半面の枝の伐採をしました。
一人で行っても夕方4時には終わりました。ああ、すっきりした。
使われている人は、言われた事しか出来ないんだろうな。
【 11月 16・17・24日 】 後作緑肥の不耕起作業
当農場では、不耕起作業(プラウを使わない)にして十年程経つ。
問題なのは、後作緑肥の処理。
今回は、10月7日 リーフチョッパー、14日堆肥散布、15日ソイルクランブラ、16日パワーハロー。
11月に入って、16日ソイルクランブラ(左写真)、17日ロータリー(中央写真)、24日サブソイラ(右写真)。
不耕起にするとプラウで作業したら一度で済むことが何度も各種の機械を入れる事になります。でも、私は不耕起で作業を続けています。この方が土に、畑に良さそうな気がしています。
【 10月 2日 】 ハマナスジャム
妻と北見へ出荷に行った際に立ち寄ったK氏宅。 珍しい物を試食させて頂いた。
乾燥中のハマナスの実 と ハマナスのジャム。 初めていただきました。
【 8月 7日 】 ビーツとダイコンのおろし
ビーツを作っていて、如何に食べ方を広めるか? ビーツが特殊なものでは無く、普通の物で生活上に無くてはならない食材にならないといけない。
魚に付いている大根おろし。 ビーツ入りのおろしはいかが?
【 7月 11日 】 Bihoro Base
今年初めてのBIHOROBASE。本当は5月から開催予定でしたが、コロナ対策で中止。今月が今年初めてになりました。
妻が活き活きしています。
【 6月 5日 】 カッコウ の写真
今年は、5月23日にカッコウの初鳴きを聞きました。例年並みですが遅い方。
姿は、ハトをスマートにした感じ。中々写真に撮れるほど近くに遣って来ませんが漸く写す事ができました。
【 3月 16日 】 小麦畑の融雪作業
朝から小麦畑の融雪作業を行っています。 機械は、2軒の共同維持。私は、ビートの作業があるので相手の方が使用してから機械を使っています。
ユニック付の平トラックは、いつもお世話になっている自動車修理会社の社長さんが、昨年春に「ユニック車が2台あるから見に来て良かったら持って行って・・・」
という感じで昨年から当農場に配属となり、融雪剤散布作業は初めて。重宝している機械の一つです。
小麦畑には「防散融雪炭カル」散布。 続けてビート畑も同じ資材を使用。9町の面積をお昼までに終了しました。
【 2月 17日 】 急速解凍と急速冷凍
2月16日、暖気による急速解凍が起こり庭や倉庫にオホーツク海が拡がって来た。倉庫まで水が入るのは昨年の3月11日以来。昨年より3週間も早い。
翌17日朝には、オホーツク海に流氷が押し寄せてツルツルで歩くのが怖いほど。
18日は二十四節気の「雨水」。雪が雨に変わる頃。
【 2月 11日 】 我がこころの 建国記念日
1983年23歳になる年の2月11日の建国記念の日に自転車による日本一周をスタートさせた。
最初の宿泊地は、千葉県房総半島先端の館山ユースホステルだった。
あれから何年経ったろうか?2021年2月11日今私は、北海道美幌町で生活している。
一連の不思議に取り巻かれて何不自由無く生活している。
年齢的にも、次世代に伝えて育てる領域に入って来た今。
今の生活を維持しながら、次世代に何かを伝える働きをしようと考えている。
その方法のひとつは、私自身が未だに理解進歩していない電子技術の分野への子供たちの誘い。
もうひとつは、農業を魅力ある仕事、大切な仕事として伝えて行く事。
【 1月 1日 】 2021年
2021年 今年も 宜しくお願いします。